この無視という態度は、毛沢東のconsolidation of Communist[「第二次国共合作」のこと?翻訳者注] の中国支配、1950年6月の朝鮮半島における戦争の勃発で一転した。裕仁天皇の推挙によって、米国政府は、沖縄が当該地域における反共の戦略的な緩衝地帯として重要だと把握するにいたった。1952年、サンフランシスコ条約が発効して連合軍による日本占領が終了したが、その第3条が沖縄の未来を除外したのである:
条約調印直後に、沖縄は東南アジアにおけるすべての戦争のハブとなった。アメリカの船艦は沖縄の港で積荷を降ろしたが、そのすぐそばの基地で保管された物資には、ビールやトイレットペーパーからマスタードガス、神経ガス(以下の「赤帽作戦(Operation Red Hat):2009年フォート・ハリソンVA裁定」の節で論じた)などのもっと危険な品目までなんでもあった。嘉手納空軍基地からはB52が連日、ヴェトナム、ラオス、カンボディアへの爆撃に飛び立ったし、沖縄の北部のやんばると呼ばれるジャングルでは、ニセのヴェトコン村がつくられ、この戦争ゲームにリアリティを加味するため毎日雇われた地元住民がいた。
1971年までに、これらの枯葉剤の健康への危険性に関する科学的証拠や報道の集中砲火を浴びて、ようやく、ペンタゴンはランチハンド作戦終結を宣言せざるを得なくなった。ところが、残った枯葉剤の在庫は、その後も数年以上にわたって、除草目的で使用され続けたのである。科学者の推計によれば、1961年から1971年の間に製造された枯葉剤には、360キログラム以上のダイオキシンが含まれており(11)、この黙示録的とも言うべき量は、一兆人の致死量に相当する(measured in parts)のである。ヴェトナムだけで、赤十字社は「先天性障害を持つ15万人の新生児を含む、300万人のヴェトナム人がエージェント・オレンジの被害を受けた」と推定している(12)。
枯葉剤製造社は、ヴェトナムの被害者に対して全く補償を行って来なかったが、1984年に、被曝した米退役軍人に対して1億8000ドルの賠償を行うことで法廷での和解(settled out of court)が決定した(13)。1962年から1975年の間にヴェトナムに駐留したアメリカ人米兵すべてに、軍の枯葉剤被曝を認定し、これがダイオキシンに由来する疾病への補助を可能にした。症例には前立腺癌、ホジキン病(悪性リンパ腫)、多発性骨髄腫が含まれる。退役軍人局(VA)は枯葉剤を使用したとペンタゴンが公的に認知している地域の一覧を保管している、そこにはカナダ、タイ、朝鮮半島の非武装地帯、ラオス、プエルトリコと合州国内の12の州が含まれる(14)。
米海兵隊の運転手をつとめたこの元兵士は、「輸送や、沖縄北部での模擬戦闘訓練(War Games Training)で使用された際にエージェント・オレンジ被曝していたと報告された」。元米兵の話では、軍用枯葉剤が使用されたのは「特に駐留基地の周囲だった。トラックや背負った容器からの散布は道路周辺にも用いられた」。
第2の重要な点は、この裁定が本件に関するペンタゴンの公式の説明と矛盾する結果となったことである。2004年に、統合参謀本部長リチャード・マイヤーズ将軍(General Richard Myers, Chairman of the Joint Chiefs of Staff)は、下院の退役軍人問題委員会の審議で「沖縄におけるエージェント・オレンジその他の除草剤の使用、貯蔵を裏付ける資料はない」と回答したことが発表されていた。彼はさらに「エージェント・オレンジの事故その他によるいっさいの漏出の記録はない。したがって、沖縄に駐留した兵士について軍務中のエージェント・オレンジまたは同類の除草剤への被曝の記録はない」とまで言い及んでいる(17)。共同通信の記事が発表された後も、国防省はこの姿勢を変えていない。
i. 沖縄軍雇用員 1960年代半ばからの元兵士の証言は、60年代末まで、普通は基地で枯葉剤を噴霧したのは米国人作業員だったというが、業務が地元住民に委託されていたことが明らかになった。キャンプ・クエでは、たとえば、ある元兵士は「アメリカ人監督の指導の下で沖縄人が枯葉剤を噴霧していた」ことを覚えている。キャンプ・フォスターにおいても、別の元米兵が、「様々な機会に、沖縄人の地上職員が建物や冷蔵保管区の周囲に枯葉剤を噴霧していた」のを目撃している。マチナト補給廠でも、エージェント・オレンジの積載や散布に沖縄人労働者が加わっていたとの報告がある。
シパラはサイトを使ってメディアに掲載された報告書を共有し、エージェント・オレンジ被曝した元兵士たちの間に連帯意識をはぐくみ、VAのやっかいな(hoops and barrels)申請手続きの指南をしている。2011年4月以降、サイトは3万5000ビュー以上を記録し、沖縄でダイオキシンに被曝したという、さらに12名の元兵士の証言に道を拓いた(40)。
(4)Steve Rabson, "'Secret' 1965 Memo Reveals Plans to Keep U.S. bases and Nuclear Weapons Options in Okinawa After Reversion," The Asia-Pacific Journal, February 1, 2010.
(5)William A. Buckingham, Operation Ranch Hand - The air force and herbicides in Southeast Asia, 1961-1971 (Washington D.C.: Office of Air Force History, 1982).
(6)Jeanne Stellman et al. “The extent and patterns of usage of Agent Orange and other herbicides in Vietnam,” Nature, Vol 422, 681. http://stellman.com/jms/Stellman1537.pdf
(7)Philip Jones Griffiths, Agent Orange: ‘Collateral Damage in Viet Nam (London: Trolley Ltd., 2003), 169.
(9)この隠蔽に関するよくまとまった概説については、次を参照。 Griffiths pp. 164-169.
(10 )"Employment of Riot Control Agents, Flame, Smoke, Antiplant Agents, and Personnel Detectors in Counterguerilla Operations,” Department of the Army Training Circular, April 1969.
(18)VA裁定#1030176 全文は次から確認できる。 http://www.va.gov/vetapp10/files4/1030176.txt [18訳者注] 「委員会裁定は前例とならない」は、裁定文書のREASONS AND BASES FOR FINDING AND CONCLUSION章、Analysis節の2段落めに出現する。 この文書によれば、該当する規定は、連邦規則集第38巻第20条1303項とされている。 Sec. 20.1303 Rule 1303. Nonprecedential nature of Board decisions. Although the Board strives for consistency in issuing its decisions, previously issued Board decisions will be considered binding only with regard to the specific case decided. Prior decisions in other appeals may be considered in a case to the extent that they reasonably relate to the case, but each case presented to the Board will be decided on the basis of the individual facts of the case in light of applicable procedure and substantive law. http://edocket.access.gpo.gov/cfr_2002/julqtr/38cfr20.1303.htm
(25)読谷軍用犬訓練所の周囲への枯葉剤噴霧の証言は、驚くべきことに、1990年の米軍用犬に関する報告書による。この調査は、米国内、ヴェトナム、沖縄で死亡した犬の睾丸の癌の比率を比較している。報告書では、ヴェトナムで死亡した犬は、米国内のそれと比べて睾丸への癌の発症率が1.8倍であったが、沖縄ではさらに高率の2.2倍だった。Howard M. Hayes et al., “Excess of Seminomas Observed in Vietnam Service U.S. Military Working Dogs”, Journal of the National Cancer Institute, Vol 82, Issue 12.