ジャパン・タイムズ
2011年8月24日
沖縄の元米兵、癌は枯葉剤によるものと非難
ジョン・ミッチェル
ケイト・ゴーツ氏が、多発性骨髄腫という滅多にない骨髄の癌であると診断された2003年、彼女は49歳で、彼女も主治医も困惑した。
この病気は、アメリカでは年に2万人が発症するが、60代末のアフリカ系アメリカ人男性に典型的にみられるものである。ゴーツの家族には癌患者の病歴もない。
しかし、主治医は、彼女がかつて海兵隊員であったと知ると、この謎の答えを見つけたと思った。多発性骨髄腫は、有害な枯葉剤、エージェント・オレンジの接触に関係すると米国政府が認める14種の病名のうちのひとつだからである。主治医は、病気の原因が従軍経験に由来すると推測した。
「彼はエージェント・オレンジを浴びたかどうか尋ね、摂取検査(intake exam)を受けるよう勧めました」。ゴーツはジャパン・タイムズ紙に語った。「検査は受けましたが、ベトナム以外でエージェント・オレンジに晒されたとは判らず、考慮に入れていなかったのです」。
検査結果は、じっさいゴーツがダイオキシンに被曝していたことを示し、彼女はますます困惑した。ベトナムに足を踏み入れたことが無かったからである。ベトナムはその当時、ペンタゴンが枯葉剤使用を認めた唯一の国だった。
しかし、ゴーツは、1975-76年、沖縄のキャンプ・フォスターにいたことを思い出した。当時、ゴーツによれば、基地の周囲フェンスで除草剤を噴霧する米兵の姿はよくある光景だった。
「フェンス沿いには雑草は生えていませんでした。歩いて通り過ぎるときには、刺激臭がして、頭が痛くなったものでした。あるとき、風が吹いて霧が自分にかかりました」。
ダイオキシンの混入した枯葉剤を吸い込んだだけでなく、ゴーツは、キャンプ・フォスターの貯水池でエージェント・オレンジに触れた恐れもある。当時妊娠していた彼女は、内科医からよく水分を摂るようにとアドヴァイスを受けていた。
「それで、その土地の水をたくさん飲んでいました」。
ゴーツにとってこれらの証拠は、沖縄滞在中にエージェント・オレンジに被曝したことを示すものであり、彼女は退役軍人局に請求を行った。元軍人に健康保険費用を補助する米国の担当局である。
2010年5月、ゴーツの請求は却下された。VAは「国防省の文書を調査した結果、エージェント・オレンジ等の戦略用除草剤の使用、試験、貯蔵の記録は認められなかった」と説明した。
VAの却下は、1960-70年代沖縄でエージェント・オレンジ被曝し病気になった、何百人もの元米兵に発行されたものと同じである。
ただひとつの例外は、1998年、前立腺癌で補償を得た海兵隊員のトラック運転手で、1960-61年の間に、沖縄島の北部ジャングルにエージェント・オレンジを輸送したためと認められたものである。しかし、VAのこの決定は前例とはならなかった。このためゴーツは1998年ルールを示しながら彼女の請求を裏付けることが出来なかった。
VAに請求を却下されたため、ゴーツは主治医の勧める経口化学療法の治療費、月1400ドルの支払いに直面した。彼女は2010年、カリフォルニア州議会と上院委員会で支払いの苦労について証言を行った。
「費用はあまりに高額で、クレジットカードはすべて限度額に達してしまいました。ついに、私は経口化学療法をやめ、効果的ではないIV(静脈注射による)治療になりました。費用のせいで生きるか死ぬかの選択を迫られるべきではないと思うのです」。
同じキャンプにいたほかの元兵士が、最近になって、ゴーツの主張を裏付けるために現れた。
ケン・サルベストロは、1967-68年にキャンプ・フォスターに駐留したフォークリフト運転手で、基地にエージェント・オレンジがあったことを証言した。
「あそこにいた頃に、何千というドラム缶を見ました。オレンジのものは除草剤だと知っていました」。サルベストロは語った。「私の任務はトラックから貯蔵場所まで繰り返しそれらを移動させることでした」。
サルベストロはエージェント・オレンジの貯蔵だけでなく、キャンプ・フォスター周囲への噴霧にも係わったと説明する。
「手で根っこから引き抜くよりも、雑草に噴霧するほうが簡単だった。見た目も美しいし、警備もしやすくなるからだ」と彼は言う。
サルベストロの説明は、1972-73年にキャンプ・フォスターに駐留したもうひとり別の元兵士の証言によって裏付けられる。この時期になると、フェンス周辺の維持管理は地元の労働者の仕事になっていたと、この元空軍下士官は語った。
「沖縄人の地上職員が、キャンプ・フォスターの私の兵舎の建物や冷凍室周辺に、枯葉剤を噴霧するのをよく見ました」。元兵士は、メディアに話したと知られると彼が最近VAに受理された補償請求がダメになるかもしれないと恐れて、匿名を求めた。
元兵士は現在、2型糖尿病にかかっているが、原因は基地でエージェント・オレンジに被曝したことだと考えている。
ジャパン・タイムズ紙が集めたその他の元兵士の証言によれば、地元の除草業者がエージェント・オレンジを使用するのは、雑草が伸びるのが早く管理が難しい在沖米軍基地ではよくあることだった。
レイモンド・アダムズは、1973-74年にこの島に駐留した海兵隊員で、「普天間飛行場では航空支援団が滑走路に噴霧するのは日常業務でした。皮膚が焼けるようだったが、雑草を減らし「ハブ」(毒蛇)を退治できたのです」と語った。
ペンタゴン自体は、1975年までタイの米軍基地でのこの種の使用を認めている。
しかし、今週の金曜日、外務省の発表によれば、ペンタゴンは再度、施政権返還前の沖縄で米軍が枯葉剤を貯蔵・使用したという主張を否定した。
癌は地元の水を飲んだのが原因ではないかというゴーツの恐れは、キャンプ・フォスターの貯水池がエージェント・オレンジで汚染されていたという不安を惹起した。
サルベストロは、貯蔵地区はキャンプ・フォスターの主要給水塔からは離れていたと断言するが、環境科学者のウェイン・ドゥウェニチャックは、「ダイオキシン汚染は直接の汚染地のみに起こるとは限らない」と説明する。
ドゥウェニチャックは、ベトナムの元米軍基地におけるエージェント・オレンジ汚染の調査で中心的役割を果たすカナダの会社「ハットフィールド・コンサルタンツ」で主任科学者を務めて12年になる。
「地面への浸出は、これらの基地のいたるところで起こったことです。雨や浸食で、汚染された土壌は排水溝を通って貯水池に流れ込みます。底に沈んだ微粒子は貯水池からまた別の水路へ流れ出すのです」。
1994-2006年の間に、ハットフィールド・コンサルタンツは、米軍撤退後20年を過ぎた後のベトナムで、20カ所以上のダイオキシン汚染可能性のあるホットスポットを確認した。汚染地域にはダナン航空基地も含まれている。ここでは、土壌で通常の3万倍以上のダイオキシン汚染レベルを示し、地元の人々の血液や母乳からも毒素が発見された。
米国政府の科学者やエージェント・オレンジを製造した企業、モンサントやダウ・ケミカル社は、いまだにダイオキシンと疾病との関係を疑問視している。しかし、独立系の医療専門家の殆どが、1兆分の2という極微量でも、ダイオキシン被曝による癌や先天性欠損症の可能性を確信している。
被曝者の子どもへの影響は、ゴーツが特に心配している点である。沖縄で妊娠した彼女の娘は潜在性二分脊椎(spina bifida occulta)による脚と背中の疾患に一生苦しめられているが、これもVAがエージェント・オレンジ被曝に関連すると認定する疾患のひとつである。
ゴーツ自身の多発性骨髄腫の闘病も続いている。
「現在可能なあらゆる治療で疲弊したため、この6月には腎臓が危機的状態でした」と語るゴーツは、まもなく幹細胞移植を受ける予定だが、主治医から成功の確率は50パーセントだと告げられている。
ゴーツは、しかし、海兵隊員としてキャンプ・フォスターでエージェント・オレンジに接したことをVAに認めさせる闘いを続ける決意だ。
「権力者たちは私のことを判っていない。私はあきらめて逃げたりしません。最後まであきらめずに頑張ります。私のことだけでなく、沖縄で被曝したすべての元兵士の問題でもあるのだから」。
この病気は、アメリカでは年に2万人が発症するが、60代末のアフリカ系アメリカ人男性に典型的にみられるものである。ゴーツの家族には癌患者の病歴もない。
しかし、主治医は、彼女がかつて海兵隊員であったと知ると、この謎の答えを見つけたと思った。多発性骨髄腫は、有害な枯葉剤、エージェント・オレンジの接触に関係すると米国政府が認める14種の病名のうちのひとつだからである。主治医は、病気の原因が従軍経験に由来すると推測した。
「彼はエージェント・オレンジを浴びたかどうか尋ね、摂取検査(intake exam)を受けるよう勧めました」。ゴーツはジャパン・タイムズ紙に語った。「検査は受けましたが、ベトナム以外でエージェント・オレンジに晒されたとは判らず、考慮に入れていなかったのです」。
検査結果は、じっさいゴーツがダイオキシンに被曝していたことを示し、彼女はますます困惑した。ベトナムに足を踏み入れたことが無かったからである。ベトナムはその当時、ペンタゴンが枯葉剤使用を認めた唯一の国だった。
しかし、ゴーツは、1975-76年、沖縄のキャンプ・フォスターにいたことを思い出した。当時、ゴーツによれば、基地の周囲フェンスで除草剤を噴霧する米兵の姿はよくある光景だった。
「フェンス沿いには雑草は生えていませんでした。歩いて通り過ぎるときには、刺激臭がして、頭が痛くなったものでした。あるとき、風が吹いて霧が自分にかかりました」。
ダイオキシンの混入した枯葉剤を吸い込んだだけでなく、ゴーツは、キャンプ・フォスターの貯水池でエージェント・オレンジに触れた恐れもある。当時妊娠していた彼女は、内科医からよく水分を摂るようにとアドヴァイスを受けていた。
「それで、その土地の水をたくさん飲んでいました」。
ゴーツにとってこれらの証拠は、沖縄滞在中にエージェント・オレンジに被曝したことを示すものであり、彼女は退役軍人局に請求を行った。元軍人に健康保険費用を補助する米国の担当局である。
2010年5月、ゴーツの請求は却下された。VAは「国防省の文書を調査した結果、エージェント・オレンジ等の戦略用除草剤の使用、試験、貯蔵の記録は認められなかった」と説明した。
VAの却下は、1960-70年代沖縄でエージェント・オレンジ被曝し病気になった、何百人もの元米兵に発行されたものと同じである。
ただひとつの例外は、1998年、前立腺癌で補償を得た海兵隊員のトラック運転手で、1960-61年の間に、沖縄島の北部ジャングルにエージェント・オレンジを輸送したためと認められたものである。しかし、VAのこの決定は前例とはならなかった。このためゴーツは1998年ルールを示しながら彼女の請求を裏付けることが出来なかった。
VAに請求を却下されたため、ゴーツは主治医の勧める経口化学療法の治療費、月1400ドルの支払いに直面した。彼女は2010年、カリフォルニア州議会と上院委員会で支払いの苦労について証言を行った。
「費用はあまりに高額で、クレジットカードはすべて限度額に達してしまいました。ついに、私は経口化学療法をやめ、効果的ではないIV(静脈注射による)治療になりました。費用のせいで生きるか死ぬかの選択を迫られるべきではないと思うのです」。
同じキャンプにいたほかの元兵士が、最近になって、ゴーツの主張を裏付けるために現れた。
ケン・サルベストロは、1967-68年にキャンプ・フォスターに駐留したフォークリフト運転手で、基地にエージェント・オレンジがあったことを証言した。
「あそこにいた頃に、何千というドラム缶を見ました。オレンジのものは除草剤だと知っていました」。サルベストロは語った。「私の任務はトラックから貯蔵場所まで繰り返しそれらを移動させることでした」。
サルベストロはエージェント・オレンジの貯蔵だけでなく、キャンプ・フォスター周囲への噴霧にも係わったと説明する。
「手で根っこから引き抜くよりも、雑草に噴霧するほうが簡単だった。見た目も美しいし、警備もしやすくなるからだ」と彼は言う。
サルベストロの説明は、1972-73年にキャンプ・フォスターに駐留したもうひとり別の元兵士の証言によって裏付けられる。この時期になると、フェンス周辺の維持管理は地元の労働者の仕事になっていたと、この元空軍下士官は語った。
「沖縄人の地上職員が、キャンプ・フォスターの私の兵舎の建物や冷凍室周辺に、枯葉剤を噴霧するのをよく見ました」。元兵士は、メディアに話したと知られると彼が最近VAに受理された補償請求がダメになるかもしれないと恐れて、匿名を求めた。
元兵士は現在、2型糖尿病にかかっているが、原因は基地でエージェント・オレンジに被曝したことだと考えている。
ジャパン・タイムズ紙が集めたその他の元兵士の証言によれば、地元の除草業者がエージェント・オレンジを使用するのは、雑草が伸びるのが早く管理が難しい在沖米軍基地ではよくあることだった。
レイモンド・アダムズは、1973-74年にこの島に駐留した海兵隊員で、「普天間飛行場では航空支援団が滑走路に噴霧するのは日常業務でした。皮膚が焼けるようだったが、雑草を減らし「ハブ」(毒蛇)を退治できたのです」と語った。
ペンタゴン自体は、1975年までタイの米軍基地でのこの種の使用を認めている。
しかし、今週の金曜日、外務省の発表によれば、ペンタゴンは再度、施政権返還前の沖縄で米軍が枯葉剤を貯蔵・使用したという主張を否定した。
癌は地元の水を飲んだのが原因ではないかというゴーツの恐れは、キャンプ・フォスターの貯水池がエージェント・オレンジで汚染されていたという不安を惹起した。
サルベストロは、貯蔵地区はキャンプ・フォスターの主要給水塔からは離れていたと断言するが、環境科学者のウェイン・ドゥウェニチャックは、「ダイオキシン汚染は直接の汚染地のみに起こるとは限らない」と説明する。
ドゥウェニチャックは、ベトナムの元米軍基地におけるエージェント・オレンジ汚染の調査で中心的役割を果たすカナダの会社「ハットフィールド・コンサルタンツ」で主任科学者を務めて12年になる。
「地面への浸出は、これらの基地のいたるところで起こったことです。雨や浸食で、汚染された土壌は排水溝を通って貯水池に流れ込みます。底に沈んだ微粒子は貯水池からまた別の水路へ流れ出すのです」。
1994-2006年の間に、ハットフィールド・コンサルタンツは、米軍撤退後20年を過ぎた後のベトナムで、20カ所以上のダイオキシン汚染可能性のあるホットスポットを確認した。汚染地域にはダナン航空基地も含まれている。ここでは、土壌で通常の3万倍以上のダイオキシン汚染レベルを示し、地元の人々の血液や母乳からも毒素が発見された。
米国政府の科学者やエージェント・オレンジを製造した企業、モンサントやダウ・ケミカル社は、いまだにダイオキシンと疾病との関係を疑問視している。しかし、独立系の医療専門家の殆どが、1兆分の2という極微量でも、ダイオキシン被曝による癌や先天性欠損症の可能性を確信している。
被曝者の子どもへの影響は、ゴーツが特に心配している点である。沖縄で妊娠した彼女の娘は潜在性二分脊椎(spina bifida occulta)による脚と背中の疾患に一生苦しめられているが、これもVAがエージェント・オレンジ被曝に関連すると認定する疾患のひとつである。
ゴーツ自身の多発性骨髄腫の闘病も続いている。
「現在可能なあらゆる治療で疲弊したため、この6月には腎臓が危機的状態でした」と語るゴーツは、まもなく幹細胞移植を受ける予定だが、主治医から成功の確率は50パーセントだと告げられている。
ゴーツは、しかし、海兵隊員としてキャンプ・フォスターでエージェント・オレンジに接したことをVAに認めさせる闘いを続ける決意だ。
「権力者たちは私のことを判っていない。私はあきらめて逃げたりしません。最後まであきらめずに頑張ります。私のことだけでなく、沖縄で被曝したすべての元兵士の問題でもあるのだから」。
翻訳 : 阿部小涼