ヴェトナム戦中、沖縄に2万5000本のエージェント・オレンジのドラム缶が保管されていたということが、最近公開された米軍の文書で明らかになった。520万リットルに上ると思われる毒性の枯れ葉剤を入れたドラム缶が沖縄に持ち込まれたのは、保有していたエージェント・オレンジを太平洋上のジョンストン島に移送して焼却処分したと知られている1977年よりも以前であることは明白である。
軍の報告書は、沖縄におけるこの薬剤の存在を軍が認識していたことを示す初めてのものであり、エージェント・オレンジはこの島になかったと繰り返し否定してきたペンタゴンの説明と矛盾することになる。沖縄でこの薬物のため病を発症し、米国国務省の公式の調査を求めている10人の元米兵たちの尽力がこの報告書の発見につながった。
2003年の軍の報告書は、「ジョンストン環礁の生態アセスメント」と題されている。冷戦期を通じて生物化学兵器を保管し処分するため米国が利用してきた小島における軍の環境浄化の取り組みについて概説したこの報告書は、「1972年、米空軍は、ヴェトナムにあって沖縄に保管していた2万5000本の55ガロン(208リットル)のオレンジ除草剤(Herbicide Orange/ HO)を、ジョンストン島に移送した」と述べている。
1970年代初頭、米国政府は有毒ダイオキシンを含有する除草剤が人体の健康に深刻な脅威となることを認識した後、ヴェトナムにおけるエージェント・オレンジ使用を禁止した。さらに、報告書の指摘する時系列を踏まえれば、このドラム缶は赤帽作戦(Operation Red Hat)、日本への施政権返還を翌年に控えた1971年、沖縄から1万2000トンの化学兵器を移送する作戦の一部であったことを示している。2009年に米退役軍人省は、赤帽作戦に軍用除草剤が含まれていたと発表していたが、「情報自由法」に基づく複数の申請など、この件に関する調査要求の試みを、米当局は妨害してきた。
この1年半、何十人もの元兵士が、ジャパンタイムズ紙に対して、1960年代から70年代の沖縄で散布、保管、処分したと語ってきた。当時、この島はアメリカのベトナム戦争における要衝であり、ヴェトナムで、米軍は何百万リットルものエージェント・オレンジを散布し、何万人もの自国軍の兵士と、3百万人に上ると言われるベトナムの人々が毒害をうけた。沖縄に駐留した多くの元兵士がこの除草剤に被曝したために同様の病を発症していると主張しているが、判っている限りで、米国政府が賠償を支払ったのは、そうした元兵士のうちのわずか3名だけである。
この軍報告書の発見を受けて、10名の元兵士は米上院退役軍人問題委員会に対し、沖縄における軍のエージェント・オレンジ使用の全貌を調査するよう求める書簡を提出している。「沖縄で除草剤すなわちダイオキシン被曝をした全ての元米兵に対して、また同様に沖縄に対しても、正しいことを行うよう強く求めています」と、元空軍曹のジョー・シパラがまとめ役となったこの書簡は述べている。
シパラは、1970年この島でエージェント・オレンジに被曝したと考えており、ほかの9名の元兵士たちと、ワシントンへ行き、この問題について上院議員に証言を行うよう求められた。かれら元兵士たちは、昨年、米国政府と日本の外務省が、元兵士たちの行った沖縄における枯れ葉剤の証言は疑わしいと発表したことに憤りを感じていた。
「立派に従軍し、偉大なアメリカ合州国と沖縄を守るため何年もの青春時代を犠牲にした男女たちの信頼性と誠実さを侮辱するものだった」とシパラは書簡で書いた。
シパラは、この書簡によって、米国政府はきっと、沖縄でエージェント・オレンジ被曝したと考えられる元兵士に対して補償を行ってくれる、との希望をジャパンタイムズ紙に語った。現時点で、政府はベトナム、タイ、朝鮮半島の非武装地帯で軍用除草剤に被曝した元米兵への補償を行っている。しかしペンタゴンが沖縄におけるこれら除草剤の存在を否定しているため、何百名もの元兵士たちが、補償を受けられないでいるのである。
フロリダを拠点として活動する研究者で、2003年の軍報告書を発見した人物であるジョン・オーリンは、沖縄における軍のエージェント・オレンジ使用について調査を継続すると語った。「現在、私たちはふたつの政府、自国の市民を欺くために積極的に手を組んできた日本とアメリカを相手にしている。この件に関して明らかに情報秘匿のキャンペーンがある、だからこそ、しっかり調べてやろうと考えているのです」。
翻訳 : 阿部小涼