ベトナムダイオキシンデー 第5回ニッポン2015
「沖縄の枯れ葉剤を追跡する」 2015年8月10日(月)
『沖縄なくしてベトナム戦争を続けることはできない』
1965年12月、シャープ提督,太平洋地域米軍司令官
1960年代から70年代にかけて米国は沖縄をベトナム戦争の前線基地にしてしまった。物資はアメリカ本土の港から「太平洋の要」と呼ばれた沖縄に運ばれ、そこから小型客船に積換えられて東南アジアに輸送された。その中に米国防省があくまでも沖縄を通過したことを認めない主要な兵器がある。それは枯葉剤、エージェント・オレンジである。
「枯れ葉剤を浴びた島/ベトナムと沖縄・元米軍人の証言」
琉球朝日放送
平成24年日本民間放送連盟賞 テレビ報道番組 優秀賞
空軍第498戦略ミサイル班
「沖縄の人々は人間の盾だった」
沖縄最初の核ミサイル要員が沈黙を破る
ジャパン・タイムズ
2012年7月8日
沖縄基地に枯れ葉剤
2011年8月10日, 朝日新聞
「枯れ葉剤」か 米軍文書見つかる
2011年11月4日, 沖縄タイムズ
退役米軍人約130人「沖縄に枯れ葉剤があった」
2012年2月1日, 琉球朝日放送
枯れ葉剤使用問題 県独自調査に消極的考え
2012年6月1日, 琉球朝日放送